クロムハーツ・サングラス修理 ~Chrome Hearts Sunglasses Repairing~
2015.05.23
また×3サングラスの修理が入りました。
その数日前もメールでサングラス修理のお問合せ。まあ双方某有名ブランドクロム〇ーツです。
なんですかね、購入されたSHOPでは修理対応してくれないようで?メールの方はお見積りしてその後リアクションが無いお見積りのみでした。
でもこれだけは言わせてください。サングラスのテンプルとフレームに双方食い込んでいる微細な銀製のヒンジ金具ですが、表の飾りはシルバーでも理解できます。でもなぜ内側のヒンジ金具までシルバーにしたのか?しかも結構繊細な厚み寸法で作ってるので、もう毎度の強度が全く…ってヤツなんです。
フレーム素材は樹脂、テンプル内部の芯はステンレス。フレームもALL、SILVER!なら分かりますが…。
この角度もまた微妙なんです。
ここの角度とテンプル立てた時の側面がフレーム面に直角にビタで付く様に持ってこなければならない。
まあこれはあくまで私個人の見解ですが、元々クロムの社長って大工でしたよね。
そして今、小生も我が家をDIYリノベーションしてるので感じますがモノ作りってサイズが大きいほどEasy!と思います。
微細な物ほどコンマ数ミリの世界で誤魔化せないし、集中力が必要で神経擦り減らしますからね。
だから思うんですがスイスの腕利き時計職人に家を作らせたらきっと良い家が出来ると思うし、精度の良い家を作るんじゃないかな。
ですが逆に大工さんが精巧な時計修理は簡単に出来ないと思うのです。
垂直に穴あけしなければテンプルが垂直に可動してくれない。
ヒンジ金具の修理。
その破損範囲や状態、金具の固定方法などで変わりますが2~3時間で出来る修理ではありません。
片側で1日~、両方なら2日以上は最低かかります。とするとどうしても修理代金もそれ相応になります。
修理お考えの方おりましたらご理解いただけますと幸いです。
飾り部分側のヒンジは仮にSILVERで良しとしても、受け側は何か別の材ではダメだったのかな?
でなければもうちょっと強度のある径、寸法にする必要はあります。
ITALU-YAで修理する場合は一度バラしてから、ヒンジ部分も1から製作していきますので、許される範囲内で強度のある寸法で製作します。
修理してお渡し後、使用したらまたすぐ壊れた!という事が無い様に、という事を常にイメージしております。
Y.E.S.[腕時計:イエスウォッチ] バンドカスタムオーダー
2015.05.13
以前、請けたY.E.S.の腕時計カスタム。
バンド部分をSILVER素材で、デザインはHOPI模様です。
いや、何かイエスのケースデザインとホピのシンプルなトライブ模様が異様にマッチングするんですなコレが!美しいです。
腕時計のバンド部分ってカチッと留める金具がありますね。あれもこのバンド専用にシルバーで製作します。
フィット感を求めつつ留めたいのでタイプは「中折れ式」を選択。まあ、あれですよね、一昔前に金の喜平ネックレスなんかに良く使われたタイプですが、なんつーか・・・もうちょっと、ましなネーミングなかったんかい?と・・・。電話でパーツ注文する時も電話口でご丁寧にオネーちゃんがこの名称発するわけなんすよ。言うこっちも嫌だけど、セクハラパワハラうるさいこのご時世に「コレは大丈夫なんかいっ!?」と思わずツッコみたくもなるもんでして…。
インディアンジュエリーではお馴染みの精霊ココペリをオーバーレイにて製作。
ちなみにココペリってネイティブ・アメリカンの人では無く商人、つまり攻めて来たヨーロッパ人、という説もあるみたいでして。
実際の所どうなんだろ?
なさけ無い名称の留め金具部分のヒンジ部分の加工。
精霊ココペリ。
二人笛を吹いております。
初めからこういう腕時計。っていうくらいバランス良いなあ~
いやあ~イエスの腕時計はホピ柄がよく合う!っていう事を思い知らされたカスタムメイクでした~
アミ小さな宇宙人 エンリケ・バリオス著
2015.05.09
アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)
さくらももこさんのイラストと心温まる雰囲気のある素晴らしい本。
宇宙人アミと少年ペドゥリートの対話式に展開される愛の伝道的ストーリーです。
とても1986年に出版されたとは思えない垢抜けて洗練された科学論理、精神論だなと思う。
この手のスピリチュアル思想本ってどこか著者の宗教的、趣向的な偏りと、どうしても説教くさくなってしまいがちなんだけど、「愛」を文明の進んだ存在アミ側から、精神論だけで説くのではなく、科学論理的な側面からも少年にもわかる”簡単なことば”で対話式に説いていく”読みやすさ”が良いと思います。著者エンリケ・バリオスの半生を”真理探求”に捧げた奥行きのある思想が改めて覗えます。
※以下感想ネタバレ注意※
全体の物語は素晴らしく良いのだが、またこういう雰囲気の物語に仕上げるには”こうする他なかった”のかも知れないけど、どうしても消化しきれなかったのは次の2点かなあ~と思う。
アミ思想に出てくる「アンチ肉食」と愛の度数を計る「センソメトロ」の2つ。
これがどうしても消化できなかった。以下にこの2つの理由を挙げます。
【アンチ肉食】
外の星から来た高度な文明を持つ存在であるはずなのに地球の長い歴史であろう肉食を「死肉を食べるなんて気持ち悪い!」と何ら科学的、論理的思考もなしに非難しちゃうんですよねコイツは・・・。さらにアミと別れた少年ペドゥリートも「死肉は食べない」と何の抵抗も無く受け入れてしまう。ここは著者の菜食主義の飛躍した勧め(若干押付け・・・)を感じてしまう。
アボリジニ文化にも触れている著者なのに彼らの食生活をどう受け入れたんだろう?と若干疑問の部分です。
【センソメトロ】
愛の度数という、そもそも「愛」を数値に置き換えてしまう思想がえ?と思いました。「愛に基づかないものは滅びる」がアミ思想ですからその数値自体が存在価値の有無を絶対的に決めてしまうのは一見すると非常に恐い思想でもある。この思想は何となくキリスト教のネガティブ・モチベーション(信じなければ救われない)になってしまい結果「無償の愛」ではなく「条件付の愛」になってしまうのが、んん~・・・と思うところ。
食については、はたして「肉食」=「動物がかわいそう」や「人間の身勝手さ」だけに位置付けられるんだろうか?という問題である。ましてや「気持ち悪い!」と言うアミのニュアンスは「かわいそう」という倫理的な部分とは相反している気さえする。
長い生命進化において原始から「弱肉強食」という揺るぎない法則がありそれは現代においても文明社会の本能的な基本原理として引き継がれ「経済」という表層を成している。
これらはそこへ至った長い歴史があり生命体は「食物連鎖」という食べる食べられるという関わりあいの中で進化してきたのだ。こういった一切の真実、歴史を「気持ち悪い!」の一言で片づけちゃうって、アボリジニの生活に取材に飛び込んだ現代人が「うわ!お前カブトムシの幼虫なんか喰うの?生で?キモっ!」ってアボリジニ当人の前で言うか?っていう位のレベルでしょ。ウルルン滞在気で馬鹿そうなアイドルでも一応アマゾンの奥地とかでギャーギャー言いながら虫かじったりするでしょうに~と思ってまうんですよに~